先日MYガラケーが故障しまして、いよいよといいますか、ようやくといいますか、iPhoneに機種変更いたしました。しかし今回の件で、数百件のデータが吹っ飛んでしまいました(CDにデータ移管したはずですが、そのCDが見つからない…)。これを見た方、是非お電話ください、あなた様の電話番号がわからずかけれませんので。。。。
さて、話は変わりますが、数日前のワタクシの素朴な疑問に答えてくれた方がいらっしゃいました(何のことかわからないあなたは、6/16のNotesをチェック)!
あのユニークな自転車の名前は、Christiania Bikes®っていうらしいです。
生産国は北欧デンマーク!
30年以上の歴史があるブランドのようで、国内では学芸大学駅近辺のショップで扱っているらしいです。Kさん、丁寧にいろいろ教えていただき本当にありがとうございました!
大学の講義関係で東京・王子にある渋沢史料館にお邪魔してきました。
渋沢栄一(1840-1931)は、森有礼の私塾であった「商法講習所」の管理を任され、その後これを「東京高等商業学校」に発展させたことや、当時の帝国大学に商科(ビジネス関係の学問)がなく、この学校を東京商科大学(現在の一橋大学)に昇格させるように働きかけたことは、大学時代にことある毎に聞かされておりました。が、史料館を訪れてみて、改めて渋沢栄一の活動の幅広さとその志の高さに圧倒的なものを感じました。小保方さんの問題で揺れる理化学研究所の設立も、日本女子大の創設も、王子製紙の設立も、SHIBUSAWAが中心的な役割を果たしているんですよね(その他、500近くの企業設立にかかわったと言われています)。もちろん、一橋大学の後援会である「如水会」の命名も。なかでも約25年に渡って会長をつとめた抄紙会社(後の王子製紙)への思い入れは強かったようで、「国家社会の為に此の事業を起す」と回顧談にもありました。『渋沢栄一と王子製紙株式会社』によれば、「渋沢はあらゆる事業を盛んにするためには、人々の知識を高める書籍や新聞などの印刷物の普及が必要で、そのためには安価で速く大量印刷が可能な洋紙製造をすべき」と考えたようです。ちなみに、同社のCSR行動指針(2004年制定)の原点にも、渋沢の唱えた「道徳経済合一説」が位置づけてられています。
そうした渋沢栄一の功績とともに、渋沢栄一の喜寿の祝いに、現在の清水建設が渋沢に贈ったという大正建築「晩香盧(ばんこうろ)」が当時の和洋折衷なモダンが感じられて素晴らしい!!(上記写真、洋室ですが照明は和風なのです)
当時、国内外の賓客を招いていた面影がそのままに残されています。晩香盧は渋沢史料館の側に併設されており、両方とも北区の飛鳥山公園の中にあります。
公益財団法人 渋沢栄一記念財団
〒114-0024 東京都北区西ヶ原2-16-1 渋沢史料館内
余談ですが、JR王子駅前の「赤ちょうちん」というお店で昼の定食(焼き鳥丼)を頂きましたが、なかなか“入りづら〜い雰囲気(店主自らおっしゃってました)”を醸し出していますが笑、味も人情も一級品でした。そこで出会った現役高校生、応援してるぞ!初めてでしたが、王子、気に入りました◎
銀座で用事があり時間がちょいと空きましたので、善は急げということで、さっそくTORIBA COFFEEに寄ってきました。
なかなかの佇まいで、このショップの2Fで焙煎をされているとのことでした。CAFEではなく豆屋さんですね。閉店時間ギリギリで時間がなくほとんど店員さんに話を聞けずじまいでしたが、店舗前にさりげなく置いてあったカーゴ付きの自転車がとても良かったです笑。こんな自転車どこに売っているんだろう。高崎経済大学で講義教室に行く時、プリントやら教科書やら機材やらを運ぶのが大変で、こういうのに乗っけて、ひゅい〜っと行けたら良いなあといつも妄想しています。
TORIBAさんは、銀座にもうひとつお店を持っていてそこに毎日焙煎したての豆をこれで運ぶのだそうですよ。カッコいいなあ。オランダのBakfietsのカーゴバイクは知っているんですが、どうもそこのではなさそうです。どなたかご存知ではないですかね??
コーヒー好きを公言(?)するようになってから、いろんな各地の美味しいコーヒーを紹介して頂けるようになりました。先週も大学のスタッフの方に、銀座のTORIBA COFFEEのハワイ・コナコーヒーの3点セットを頂きました。いやいや、本当にありがとうございます〜。
普段はどちらかというと苦み重視の選択をしているので、あまり酸味のあるものは飲まないのですが、頂いたものはすごい飲みやすくて気に入りました。
ところで、TORIBA、トリバ、ってどこかで聞いた響きだな・・・と思って調べてみたら、あのドトールコーヒー創業者の鳥羽博道氏の次男、鳥羽信博氏のショップなんですね。会社名も株式会社「バードフェザーノブ(鳥・羽・信)」って、なんともわかりやすい笑!ようし、ワタシも会社を設立した暁には、ソイル(土)・ファーティライザー(肥)・ショーグン(将)、、、、ってなんだかわけのわからない農業系カンパニーになってしまうので、やっぱりやめておきますわ笑。
ブラジルW杯がいよいよ始まりましたね。
開幕戦での日本人主審の判定について議論が巻き起こっていますが、これは本当に良いことですねえ。もちろん、日本サッカーとJリーグにとってです。おそらく、日頃からJリーグを見ている人ならば、今回の件は「想定内」のことですし、起きるべくして起きたな、、、フムフム、、、と見ていると思います(そういう意味では彼はいつもどおりのジャッジをしたので、何ら問題はないのかもしれません)。
ポイントは、同じサッカーという競技にもかかわらず、イギリスやスペインなどの欧州リーグと日本のJリーグの判定基準が大きく異なっているということ(FIFAはこれを理解していたとは思いますが…)。最大の問題は、今回の日本人主審に限らず、Jリーグで笛を吹く主審の多くは、「試合を決定づけてしまう」ことが多く、はっきり言って、「観客が興醒めしてしまうような笛の吹き方をする」と個人的には思います。優れた審判は、本来目立たないはずなのですよ(その正反対が◯◯劇場、という主審が試合の主人公になっちゃうパターンです)。これは早急になんとかしていかないと駄目なのですが、残念ながらなかなか改革がなされない。むしろ、主審を守るために必死になっている。わかりやすく言えば、Jの主審はえらく過保護な環境に置かれていると思います。ですので、今回の件は、「誤審」うんぬんの話ではなく、もっと根本的なところに問題があるわけです。繰り返し言いますが、これはJリーグファンなら誰でもわかっていること(だと思います)。審判を評価・育成していくある種オープンなシステムを早急に構築していくことこそが、日本が真のサッカー大国、そして日本サッカー市場の「成熟」に近づく一歩だと思いますね。チェアマンそして審判委員長サン、このあたりよろしくお願いします。
雨降る中、世田谷で朝から夕方までの(相当に非生産的な)用事を一件済ませ、さて帰ろうかと思った時に偶然、世田谷文学館で開催されている「茨木のり子展」のポスターを見つけました。閉館時間ギリギリでしたが、ビビビっときましたので迷わずに入ってみました。
実は、詩人 茨木のり子さん(1926-2006)は、1988 CAFE SHOZOの菊地省三さんに勧められてからずっと気になっていた存在で、びびびとくるのもそりゃ当然ですね(最近は国語の教科書にも載っているようですし)。「倚りかからず」、「わたしが一番きれいだったとき」、「自分の感受性くらい」などが代表作です。
作品もさることながら、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と清々しいほどに力強く言い放つその人となりに関心を抱いておりました。展覧会では、詩以外にも、谷川俊太郎氏との日常の手紙や葉書のやり取りも公開されていて、それらひとつひとつの言葉が、生き生きと、しかもどこか凛として存在しているようでした。展覧会は、6月29日まで。おすすめです。
週末から地域系教員で箱根・強羅にある法政箱根荘に行ってきました。
充実した施設、環境で、かつ温泉も硫黄の白濁湯で食事も美味しくて、本当にすばらしかったです。超オススメできるのですが、基本的に教職員関係者限定ということですので、皆さまあしからず。2日間の“研修会”中の爆笑写真がたくさんあるのですが、学部トップシークレットということでお見せできないのが残念です!
さてさて、「強羅」は「ごうら」と呼びますが、なんでこんな名前になったんだろう・・・と調べてみたら、諸説あるようです(以下、箱根強羅観光協会より)。
⑴早雲地獄からの土石流が崩れ落ちた斜面上の地形であるから大きな石がゴロゴロとした景観からゴロゴロが訛ってゴーラになった説
⑵強羅は原野に無数の大石が目立って散在しているので、梵語の「石の地獄」という意味のあることば「ゴーラ」からつけられた説
⑶強羅の地盤は非常に固く、亀の甲羅のようであるというところから甲羅が訛ってゴウラになった説
うーむ、皆さんはどう思われますか。ワタクシ個人的には⑵に惹かれますね。「石の地獄」なんて意味の言葉がサンスクリット語にあることが驚きです。
秘蔵写真をお見せできないので、部屋からの眺望をひとつ。遠くの山間には箱根大文字焼の跡がみえます。夏まつり、花火大会時には、ここは最高のロケーションですね。また是非来たいと思います。